わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★十字架と愛を結ぶもの

罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。

(コリント第二の手紙5:21)

教会がなぜ、かつての処刑道具「十字架」を言葉にするのか。
なぜ人々は、それを愛のシンボルと言うようになったのか。
通常この処刑と愛は、真逆の相いれないものです。

しかし、聖書はそこにかけられた方を示すことで、両方を結び付けています。
その方こそイエス・キリストです。

「罪と何のかかわりのない方」であるのに、そこにかけらなければならなかった。その理由を、わたしたちのためであると聖書は語ります。

罪? その報い? 十字架?
本来、そんなこと”自分とはかかわりがない”…と言えるのは、果たしてわたしたちでしょうか? それともイエス・キリストでしょうか?

イエスさまが、どれほどの愛と慈しみをもってわたしたちのためにあの十字架の苦しみと死を負われたか…、想像し受け取ることへと今招かれています。

  • 祈り 主なる神さま、キリストの十字架を通して、わたしたちに向けられている真実な愛へと招かれていることを感謝します。わたしたちは何もできなくていい、それを受け取るだけでいい…と。どうか「キリストの十字架はわたしのため」という告白を通して、その愛の中を生きることができますように導いてください。
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