わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★主キリストのもとでの喜び

では、わたしの兄弟たち、主において喜びなさい。同じことをもう一度書きますが、これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです。

(ピリピ人への手紙3:1)

牢に捕らわれの身でパウロですが、そのような状況に妨げられない喜びを告白していました。
それが「主キリストにおいて」生きる者の姿です。

主キリストの愛に心を合わせ、その約束された祝福を信じて生きて喜びを得ています。

人が語る多くの幸いは富や地位、名誉、たくさんのものを得ることを示します。そこにはきりがありません。時には他人から奪ってでも、自分の幸せを確保しようとすることさえあります。

しかしパウロは、キリストが示す幸せを学びました。

…また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。(使徒20:35)

パウロがその牢においても喜べる理由は、このキリストとともに生きていることの確信から生まれています。

  • 祈り 主よ、わたしはあなたの思いに心を重ねて行きたいと願います。どうかあなたのもとで、その喜びをもっと経験できますように導いてください。
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