平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
(マタイによる福音書5:9)

昔のことわざに、「勝てば官軍負ければ賊軍」というものがあります。
戦いに勝てば、勝ったほうがすべて正しく、負ければすべて否定され、悪とみなされる。つまり勝敗によって善悪が決定されてしまう。だから、何をしても”勝つこと”にこだわりを見せるのでしょうね。
一方で聖書は、「キリストはわたしたちの平和」(エペソ2:14)と語りこう告げます。
…彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、…敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。(エペソ2:14-16)
キリストこそ、人々により、十字架につけられることで全存在を否定された方ですが、この方に平和のカギがあるというのです。
今も聖書は、わたしたちの価値観、標準に「?」マークを突き付けて、キリストを指し示します。そして「神の子」としてのふさわしい歩みをわたしたちにチャレンジします。
「わたしはどう生きるべきか?」という問いかけの答えは、このキリストの姿にこそあると信じます。
- 祈り 主よ、あなたこそ、わたしたちに本物の平和への道を指し示します。周囲の雰囲気に流されない、「キリストの平和」にしっかり目を向けて生きることができるよう、どうか、わたしとわたしたちの教会を導いてください。