自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。 (ガラテヤ人への手紙 5:1)
「律法」そのものは良いものです。でも「律法主義」は、人を不自由にしてしまいます。
「律法を一つでも破ったら罪人のレッテルがはられる…」という恐怖感がその生活を支配するからです。
キリストの十字架の愛は、私たちを大きなゆるしの中で解放します。
その愛の中にいるからこそ、わたしたちは安心です。そして自由を感じます。
その愛につつまれている。だから安心して神さまに目を向け、ともに生きることの祝福を味わうことができます。
そう、この方から離れるわけにはいきませんね♪