主のように聖なるものはない、あなたのほかには、だれもない、われわれの神のような岩はない。
(サムエル記上 2:2)
日本では、多くの神々を自分たちの都合や状況によって取捨選択して拝むことが当たり前になっています。
便利なようでいても、そのすべてが本物でないのであれば、気休めにもなりません。
そして、聖書はそれを明確に「偶像礼拝の罪」というのです。
サムエル記の時代にも、自分たちの都合でつくりだされた神々がありました。
ここでは、まことの神をそれらと比較している…というのではありません。
まことの神こそ神であり、絶対的なお方だと語りだしているのです。
旧約聖書では、しばしば偶像の神に対するはっきりとした態度を人々に迫ります。
私たちなら、どう応答するでしょうか。
- 祈り 神さま。あなたのみがまことの神である、そのことをしっかり覚えて、あなたを礼拝します。あなたの祈ります。あなたに頼ります。どうぞ助け導いてください。