こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。
(ローマ人への手紙 8:1)
神さまが、「罪」が見過ごしにされることは決してありません。
どんなごまかしも通用しません。
それなのに、聖書は「罪に定められない」と語ります。
現代訳聖書訳では、「絶対に裁かれることはない」、詳訳では「処罰〈非行の責任を問われること〉はありません」とあります。
そこまで断言できる理由はただ一つ「キリスト・イエス」です。
罪の全くないお方が、すべての人の罪の身代わりとなって十字架上で断罪されたことによるのです。
わたしもあなたも、自分の罪の深刻さに気づくなら、キリストによってもたらされる神のゆるしの真実にも目が開かれるでしょう。
- 祈り 神さまわたしが自分の罪をごまかすのではなく、あなたのゆるしもとへ行きます。
キリスト・イエスを信じて受け取ることのできる完全な罪のゆるしのゆえに感謝します。