ヨセフは長男をマナセ(忘れさせる)と名付けて言った。「神が、わたしの苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった」。
(創世記41:51)
奴隷、囚人状態から、神の不思議な導きでエジプトの宰相とされ、家庭をも持つことができたヨセフ。彼が、自分の子を名付けるとき、自分の人生の証をその子の名であらわしています。
その人生を振り返って言葉にするとき、「神が…」人生の主であり導いてくださった方であることを明らかにしているのです。
イエス・キリストを知りながらも、”信頼”せず、また”耳を傾け、従う”こともせず、神さまの御業を見ないまま歩む人がいます。とても残念です。
わたしたちの人生は、”今、神さまと共に生きる”という日々の積み重ねによって築き上げらていきます。
主が共にいてくださることを告白し、その御言葉を経験しましょう!
ヨセフの人生が、主と共にあるとき苦労が苦労で終わらなかったように、わたしたちも主を主として歩むときに、その証を、必ず表わすことができると信じます。
- 祈り 主よ、あなたがわたしの人生の主であり導き手です。どうか今日も共にいて、わたしを導き、歩ませてください。たとえ苦難や問題を経験することがあっても、あなたが共にいてくださり、それを意味あるものとしてくださることを信じ続けていくことができますように、祝福してください。