自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神のしもべとして行動しなさい。
(ペテロ第一の手紙2:16)
小学生の頃、授業と授業の間の10分間を「自由時間」と表現していました。実際には「休憩時間」ですが、子どもにとっては「自由」の方がしっくりしていたのです。
実際には、さまざまな制限付きでしたが、「自由に遊べる」という楽しみを感じていました。
今、わたしたちは神さまの恵みとゆるしの中で、自由な人として生きることができます。
「どんな悪事をしてもよい自由」ではなく、神さまを思い、人を思って生きる自由が与えられています。
イエスさまについていくと、どんな思いや行動が、ほんとうに”幸せ”を生み出す自由時間か、が分かってきます。
- 祈り わたしたちは人として「自由」を誤解せず、イエスさまに学ぶことの大切さを感じています。神さま、どうかあなた与えてくださった自由を、悪事に使うのではなく、幸いなことに用い、楽しむことができるようにわたしたちに気づきと導きを与えてください。