幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。
(箴言29:18)
見るべきお方、目指すべき姿や目的を知らずに、ただ何となく今日を歩んでいる。
その歩みは、身近な雰囲気移り変わりや自分の好みによって流されてしまいます。
新改訳では、「…民はほしいままにふるまう」とありました。
わたしたちが日々、聖書の御言葉に耳を傾ける理由はここにあります。
神さまと共に歩むこと、神さまの見ているものに心を向けていくことで、自分の限られた視野や創造力や理解力を、はるかに超えた神さまのご計画に身を投じることができます。
わたしの今日の歩みが用意されている。そしてそこに神さま由来の意味がある。
そうわかると、今日の経験のすべてが楽しみになることでしょう。
- 祈り 主よ、今日見せていただけるもの、出会いや体験のすべてを感謝します。どこに置かれてもあなたを見上げ、わたしたちの歩みを通してあなたが共におられることを証しすることができますように、主よ気づきと導きを与えてください。