わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★悲しみの経験

 

神の御心に適(かな)った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。
(コリント人への第二の手紙7:10)
 
悲しみの経験には大きく二つあることがわかります。
 
悲しみが、それがそのまま絶望や敵意につながるこの世の悲しみと、その悲しみを通して、神さまに気づき立ち返ることのできる悲しみです。
 
クリスチャンは共通して一度は悲しみを経験した人たちだと言えるでしょう。それは自分の罪に悲しみ、イエスさまに向き直って救いを得た経験を持つ者です。
 
コリントの教会は、以前のパウロからの手紙で罪を示され悲しみました。
その言葉に怒りや、敵意を持つこともできたかもしれません。しかし、彼らは神さまに素直に立ち帰るものとされ、そして救われていったのです。
 
どう悲しむのか、悲しみをだれにに心を向けるのか。悲しみを負った自分を憐れむのか、それとも神さまに目を向けるのか、「素直に神に立ち帰り、神の御心にかなった悲しみ」を経験する者でありたいと思います。
 
  • 祈り 今、「なぜわたしが?」というような悲しみを経験することもあります。そこから神さま真剣にあなたに立ち帰って、あなたの赦しを経験して生きることができますよう導いてください。
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