「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。」
(ルカによる福音書6:37)
1人のゴスペルアーティストの証を最近聞きました。
幼いころに両親の離婚を経験した彼は、父親を憎んで生きてきました。大人になってその父親もまた両親の離婚を経験し、苦しみを背負って生きてきた人だと知り、「今まで自分は自分がされてきたことばかりを握りしめ、親父がされてきたことを全く考えたことがなかったと打ちのめされた」と、涙して悔い改めたそうです。
わたしたちは「自分のされたこと」で、自分のうちにあふれる憎しみや敵意の感情を正当化してしまいやすい。けれども大切なことは、そこで一歩踏みとどまって祈り、「イエスさま、あなたが、見ておられるものを見せてください。わたしの心を閉ざす裁きの心をきよめてください」と祈る者でありたいのです。
イエスさまは、わたしをも赦してくださった。わたしたちが裁きの心から解放される時、イエスさまの赦しの大きさを、本当の意味で分かるようになるのではないでしょうか。
- -祈り 主よ、わたしの心の鈍さをきよめてください。わたしの裁きの心をきよめてください。あなたが見ておられ、憐れんでくださるその心を、共にすることができますように、わたしに気づきとさとり与えてください。