一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒言行録2:4)
聖霊の満たしは個人的な体験でおさまりません。その体験は、礼拝を引き起こしています。エルサレムに来ていた外国人の人々が「…彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」(使徒2:11)とおどろきをもってそのありさまを証ししています。
つまり、その力のあらわれも、そして目に見え、なされるすべてを通して、神さまに栄光が帰せられているのです。
当り前のことですが、わたしたちの礼拝に聖霊の満たしが必要です。圧倒的な聖霊の臨在とそのお働きが必要です。そしてそういう礼拝が、わたしたちの霊的祝福の生命線となっていくのです。
- 祈り 聖霊なる神さま、どうかわたしたちを満たして、わたしたちの礼拝を祝福してください。あなたの自由なお働きと取り扱いの中で、わたしたちがもっと霊的祝福を受け取ることができますように。