だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。
(ローマ人への手紙14:19)
たとえば肉を食べるということで、身近な人をつまずかせてしまう。当時さまざまな宗教的なこだわりによってつまずく人があったということです。
昔は、牧師がゴルフをしていた、ゲームをしていた、映画を観ていた、ロックを聴いていた、いい食事をしていた…ということで、あの牧師はけしからんとつまずく人もいたというお話があります。
決してそれらが悪いわけではありません。けれどもそれでも、これらのことを”贅沢”や”罪”といってつまずく弱い人もあったので、そういう人に配慮したということです。
その人に救いの本質を純粋に受け止めていただくために、ときに自分たちの歩みを制限しなければならないこともある。それも愛による行動です。
ただ自分のため、自分さえよければ、相手は間違っている…ではなく、「平和や互いの向上(霊的成長)に役立つことを追い求め」る愛が大切なのでしょう。
- -祈り 主よ、あなたはわたしの周囲にいろいろな信仰の友を与えてくださいました。どうかその人たちと共に霊的に成長できますよう、そこに気づきを与えてください。