ハレルヤ。いかに幸いなことか、主を畏れる人、主の戒めを深く愛する人は。
(詩篇112:1)
クリスチャンが「幸い」を語る時、その意識の中心にはまことの神さまがいます。
天地万物を造られた神さまへの当たり前の敬意とともに、この神さまがどれほどわたしを愛してくださっているかを感謝します。
そして主を畏れる人は、恐怖する”恐れ”ではなく、心からの礼拝に結びつく”畏れ”を大切にします。この違いは大きい。
この畏れを持つからこそ、聖書を通して語らていれる言葉の一つ一つが、自分の人生に大きな祝福となるとわかるからです。神さまの祝福に注目できるのです。
- 祈り 愛する神さま。今日、あなたの御言葉を聞いて、あなたを愛することあなたを礼拝する者の幸いを聞いています。どうか、この時代にあって、誠実にあなたに心を向けて歩むことができますように、わたしを導いてください。