主がこの日のように人の訴えを聞き届けられたことは、後にも先にもなかった。主はイスラエルのために戦われたのである。
(ヨシュア記10:14)
エモリ人を攻略するその日、ヨシュアが主に語りその通りになったと記録されています。
:12…「日よとどまれギブオンの上に 月よとどまれアヤロンの谷に。」
そして:13 日はとどまり月は動きをやめた…
「主はイスラエルのために戦われた」とある。このことがどれほどすごいことかを知りましょう!
目を転じて、現代の私たちが気をつけなければならないのは、自分の正義を主張して神さまを無理やり味方につけて戦わせようとする行為です。
神さまは私たちのしもべではなく、主です。
わたしたちこそ神さまのみ思いに応答して歩むことを大切にすることです。
イエス・キリストは、その生涯をすべての人を愛しご自分の命をも犠牲にされました。
十字架の前夜。イエス様を敵として捕らえにやってきた兵たち、それに対して立ち上がった弟子たち。敵味方の構図がありました。しかしイエスさまはそこで言われたのです。
マタイ26:54「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。わたしが父にお願いできないとでも思うのか。”お願いすれば、”父は十二軍団以上の天使を今すぐに送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう」。
イエスさまは、敵意に囲まれてなお、神さまのみ思いに答えて生きることを大切にしました。
今わたしたちの生きる模範はこの方にあります。
- 祈り 私たちも、困難や敵意に囲まれる時があります。主よどうかわたしたちの歩むべき道、大切にすべき思いを与えて悟りを与えてください。あなたの御心がなりますように。