主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。
(箴言1:7)
罪の本質は、主を畏れないことです。
「畏れる」ことは信仰の事柄。聖書が語る創造主なる神を神として、その前にへりくだって生きることです。
そのありさまは、礼拝ばかりではなく日常の生活でも見られます。
1ペテロ3:2「神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです」。
そして今日の個所は神を畏れない人のありさまも語っています。
パウロはこのことをこう語ります。
2テモテ3:1-2「しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。」
へりくだって自分自身を点検することの大切さを思わされます。
- 祈り 主よ、わたしの心と思いを探ってください。わたしの心と歩みが、もし神さまを軽んじるものであるなら、気づきと悟りを与えてください。どうか信仰に立つ敬虔な生活へと回復してください。