わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
(出エジプト記20:6)
数年後、そしてこどもや子孫たちの未来まで見ることのできない自分が、その祝福のすべてを神さまに願いゆだねる中で、この約束はわたしの歩みに一石を投じます。
まず自分自身が、神さまに対して誠実に生きることこそが、霊的に子どもたちの将来につながるのだと。
振り返ると、わたしはクリスチャンホーム2世。ひどく反抗的な青年時代にあっても主の守りを感じていました。それはわたし自身ではなく、わたしの両親が主に誠実に生き抜いた人たちであり、その祈りを神さまは顧みて、わたしにも恵みを注いでくださっているのではないか…そう思わずにはいられません。
しばしば、それに気づかずに人は高ぶります。いかにも自分は神なしでも大丈夫…そう思っていることはないだろうか? 気をつけなければなりませんね。
- 祈り 主よ、わたしはあなたからの不思議な恵みと憐れみの数々を経験してきました。あなたは私の両親の祈りにもこたえてくださっていることを思います。そして今、祝福を受け継ぐ者として、子どもたちのために祈ります。どうか子どもたちをあなたの恵みと憐れみの中で守っていてください。