そこでは神に逆らう者も暴れる回ることをやめ 疲れた者も憩いを得、捕らわれ人も、共にやすらぎ、追い使う者の声はもう聞こえない。
(ヨブ記3:17-18)
苦難の人と呼ばれるヨブは、その全財産と子どもたちを失い、また自らは全身激しいかゆみを伴うおできに覆われて苦しんでいました。
かつては祝福されていた日々が一転、今は見捨てられたかのような日々。
この章に自分の出生を憂い、死をも慕うような思いがヨブの言葉にあります。
今日の節の最初にある「そこでは」と言うのは、死の向こうの世界のことで、今の悩みから解放される…という思いが語られています。
しかし、そんな彼も自ら死を選ぶことはしませんでした。
彼は神の前に自分を置き、神を思い、神に自分のそのままの苦しみを訴え続けたのです。
一見、人の常識外のみじめに見えるそのありさまが、ヨブから学ぶ大切な生きざまです。
そこにどんな現実があろうと、”神さまとの交わりによってしか埋められない祝福”があるのです。
いつでも次の証言を思いつつヨブ記を読むことは幸いです。
(ヤコブの手紙5:11)
忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。
- 祈り 主よ、わたしたちは人生のさまざまな悩みに翻弄されることがあります。「どうしてこんな目に?」という思いをあなたに訴えます。わたしはあなたの前に自分を置きます。どうかあなたが知っていてくださること、またその真実を知ることができるようにしてください。どうかわたしを憐れみ助けてください。