若いときに軛(くびき)を負った人は、幸いを得る。軛を負わされたなら黙して、独りで座っているがよい。
(哀歌3:27-28)
「若いとき」、一般には青年時代を言うのかもしれませんが、今の自分が自分人生の中で、一番若いことを意識しつつ読んでいます。
なぜか…。 今もわたしは、自分の持つ自己中心な思いで神さまを悲しませている…と気づかされることが多いからです。
いくらかの年齢を重ねても、信仰にあるへりくだりから遠い自分に気づかされる時、わたしには霊的な修正・矯正が必要だなと思わされるのです。
牛が負う2頭立ての軛(くびき)にいい印象を持つ人は少ないでしょう。行きたい方向やスピードも、もう一方と調整しなければならないからです。
でも、イエスさまがもう片方にいてくださるのであれば、この軛は、わたしにとって安心となります。
イエスさまの言葉、
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(マタイ11:29-30)
あなたは、こういう軛を必要とすることはないですか?
- 祈り 主イエスさま、わたしのために御自分をも捨てて十字架に死なれたあなたの愛を思います。わたしはわがままなものです。どうかわたしもあなたと共に歩むことができる者としてください。