神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。
(ローマ人への手紙14:17)
「信仰の弱い人を受け入れなさい」という言葉で始まるこの14章。
当時の教会の中で、何を食べるか食べないかということで、人をさばいたり、つまずいたりすることなどの様子をパウロはお話しています。
現代でも同じように、福音以外のことがら、つまり人のふるまいやその飲み食いで、隣人につまずくことやいらだつとがあるかもしれません。
それが人をつまずかせるとわかっていて、自分の勝手や正しさを主張することがあるならば、そこに主ある霊的な配慮を思うことが大切です。
今日の御言葉の少し前にはこうあります。
:15 あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。
キリストがどれほどその人を愛しいるか、自分の標準でしか見えていないわたしたちに、”キリストのまなざしと思い”を示して教えてくださっています。
キリストの愛のまなざしと慰めによっておおわれるところ、それが神の国です。
そこで経験するのは、わたしたちの側の主張や正しさではなく、「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」なのです。
- 祈り 主よ、どうかあなたのわたしたちを見てくださっている、そのまなざしとその思いを知ることができるように、わたしに気づきを与え、諭しを与えてください。わたしたちのために、あなたが十字架の死と苦しみを負うて下さったことを感謝します。ありがとうございます。