わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★「もし信じるなら」という言葉

イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。

(ヨハネによる福音書11:40)

ラザロの墓の前での言葉です。そこには死という現実がありました。

死を逆行することはできないという常識の中で、イエスさまは「もし信じるなら」と言われました。

この章のはじめにイエスさまは、こう言われました。

:4-5…「(ラザロの)この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるためである」。イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。

そうして「死で終わるものではない」という新たな現実(ラザロをよみがえらされた)を、イエスさまはここにもたらされました。

そこで注目すべきは、奇跡そのものではなく、神の栄光であり、その愛の証しなのです。

事実、イエスさまは、マルタ、マリヤ、そして人々の悲しみに触れ、涙し、その痛みと死の苦しみをすべて負われ、イエスさまは十字架の道を歩まれています。

イエスさまの愛は真実です。そしてそれゆえに「もし信じるなら…」という言葉は、わたしたちにも向けられているのです。

  • 祈り イエスさま、あなたはわたしたちに「もし信じるなら」と、語ってくださっていることを感謝します。どうか困難や死の不安の中でも、あなたを信頼し、あなたのみわざを期待して生き抜く者としてください。
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