わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★見ることができますように!

見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしたちは荒れ野に道を敷き 砂漠に大河を流れさせる。

(イザヤ書43:19)

強国バビロンによる捕囚の経験。それは神に背を向けていた民への裁きでした。
しかし同じ神が、この民を回復することの約束を与えています。

強国バビロンの支配下に当時の多くの人々は、自分の小ささ、愚かさ、弱さしか見えておらず、暗い閉塞感が支配していました。

そんな中ですが、預言者イザヤが見せたかったのは、イスラエルの民に目を向けておられる「神」です。

神は民の救いをあきらめていないし、すでにその行動を起こしておられる。だから最初に「見よ!」と言います。

それは人の予測や期待をはるかに超えた「新しいこと」であり、それは既に始まっていると。

信仰の目、霊の目が開かれていないと、神がはじめられていることを見ることはできません。神を見上げ、目を開いていただき、信仰をいただきましょう。

今の時代を生きるわたしたちにはそれが必要です。

  • 祈り 主なる神さま。どうかわたしの目を開き、あなたがはじめておられる救いの業、祝福の業を見ることができるようにしてください。あなたを信じ、さらにあなたの業に私も仕えることができますように。
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