律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。
(ローマ人への手紙2:13)
律法は、その言葉を知って満足するためのものではなく、それを行うことを大切にします。
そのエッセンスは「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する」ことです。
ユダヤ人たちは、家庭で、そして社会でこのことの教えていました。しかし、教えはするが、実際には行えていなかったことが指摘されています。
まさに「言うは易(やす)く行うは難(かた)し」ということわざそのものです。
パウロは、わたしたちにも気づきをうながします。
あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている。(:23)
つくづく、わたしたちにはキリストの十字架の福音が必要です。
この福音は、わたしたちの傲慢や自己満足を溶かし、キリストの愛の感動へと導きます。
- 祈り 主なる神さま。わたしは愛の足りないものです。どうかわたしをあなたの愛によってつくりかえてください。