さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わなければならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。
(出エジプト記13:17)
車に乗っていると、時々見かける迂回ルートの案内。その先が通行止めになっているからです。
「エ~、遠回りするの?」と思わず声を上げそうになりますが、考えてみればとても親切な案内です。事故に遭わないように、という誰かの配慮がそこにあるからです。
神は、イスラエルの民に配慮し導かれました。それに彼らが気づいたかどうかはわかりません。
わたしたちの信仰生活の歩みも、遠回りに導かれることがあります。
わたしの思う近道と、神さまのその導きが相容れないこともあります。
そんな時、あなたはどうされますか?
神の導きに従うこと。そこに神さまの最善の導きがあることを信じてください。
- 祈り 主なる神さま。あなたが導かれる信仰の歩みが、わたしの知る近道と違うとき、どうかわたしがあなたの導きに従うことができますように。わたしの心をやわらげ、あなたへの信頼と従順を与えてください。