わたしはあなたたちのうちを巡り歩き、あなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。
(レビ記26:12)
神さまが、イスラエルの民を御自分の民として、目を配ってくださるありさまを伝えています。
現代のクリスチャンに対しても同様です。そのことを自分の安心の理由として知っていることが大切です。
ダビデもそのことをこう伝えています。(詩篇139篇)
:1 主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。
:2 座るのも立つのも知り 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
:3 歩くのも伏すのも見分け わたしの道にことごとく通じておられる。
:4 わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに 主よ、あなたはすべてを知っておられる。
:5 前からも後ろからもわたしを囲み 御手をわたしの上に置いていてくださる。
そして最後に、こう願っています。
:23-24 神よ、わたしを究め わたしの心を知ってください。わたしを試し、悩みを知ってください。 御覧ください わたしの内に迷いの道があるかどうかを。どうか、わたしを とこしえの道に導いてください。
神さまに見ていただくこと、そのまなざしの中に置かれていることの安心がどれほど大切か。忘れないでいてください。
- 祈り 主よ、あなたがわたしを知っていてくださることを感謝します。どうか、わたしの迷いや悩みの時にも、あなたが共にいて下さる安心を知ることができますように、導いてください。