自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。
(ルカによる福音書12:21)
「この通りだ」とあるのは、イエスさまのたとえ話の結末をさしています。
ある金持ちがありあまる食糧と財産を得てそれを倉にしまい込み、自分に向かい「さあ、これから先何年も、…食べたり飲んだりして楽しめ」と言った。
しかし神は、『愚か者よ、今夜お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」と言われた。(ルカ12:16-19参照)
ただお金持ちを批判したというのではなく、自分のためにだけ富を積む者、神を意識しない貪欲への警告です。
財産や持ち物は、地上では人がその人を評価する秤(はかり)になるかもしれません。
しかし、神さまの秤は違います。
わたしたちの地上での神さまに向けられたすべては、神さまによってはかられます。
もちろん、神さまを無視し背を向けた歩みもはかられます。
聖書は何度も「何が神に喜ばれるか吟味しない」(エペソ5:10)と、神さまを意識するように語っていることを大切にしましょう。
- 祈り 神さま、あなたはわたしの心と歩みのすべてをよくご存じです。どうかわたしの霊の目をあなたに向け、あなたとともに喜ぶことができる歩みと思いへとわたしを導いてください。