主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「今日、鶏(にわとり)がなく前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て激しく泣いた。
(ルカによる福音書22:61-62)
自信を打ち砕かれた瞬間、イエスさまのまなざしに、自分の愚かさを悟ったペテロの姿です。
そのまなざしにあったのは、ペテロへの失望ではありません。いつくしみです。
イエスさまは、すでに彼の挫折をご存じで、立ち直ったのちの使命も託しておられたからです。(:31参照)。
「自分は大丈夫!そんなことにはならない」と思っている人がいます。
そんなわたしたちのすべてをご存じの方こそ、イエスさまです。
まず、自分の傲慢さ、高ぶりに気づきを与えられることの大切さを思います。
時に、激しく泣くほどの挫折がなければ、気づけないような者であることを知らされたとき、わたしたちは”神さま頼りの新しい祝福、新しい人生”へと歩みだすことができるのでしょう。
不要なプライドが砕かれてはじめて、イエスさまに従うことができる。
それは、わたしたちに大切な祝福の経験です。
- 祈り 主よ、あなたはわたしの思いにある傲慢さを、わたしよりもよくご存じです。自分では気づけないでいるわたしの心に触れて気づきを与え、諭しを与えてください。あなたの前にへりくだり、謙虚であることができますように。