わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★パウロの経験、わたしの経験

わたしは何と惨(みじ)めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。

(ローマ人への手紙7:24)

あなたは、自分がかかえる罪にこれほど悩んだことはありますか?

かつて彼は、イエス・キリストを知らず、いや否定して、自分の力を頼りにいかにきよく生きれるかを追求してきました。その結果の悲痛な叫びです。

しかしイエス・キリストを知り、信じ、キリストを頼りとするようになって、彼は変えられました。

キリストによる神さまの赦しを受け取り、罪とその責めから解放されて、”感謝が動機”の生きざまへと変えられているのです。

 「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします」(25)。

今、大きな争いや、異常なほどの憎しみと敵意や事件があると、その人の過ちや罪はよく目に留まります。でもはたして自分はどうか、と気づくことは大切です。

そうして、あのパウロがキリストを信じ、頼りにして変えられたその経験が、わたしたちの経験ともなるのです。

  • 祈り 主よ、他人の過ちには目がいきやすく、自分が見えていないわたしの心に気づきを与え、またあなたのゆるしを与えてください。そこから神さまへの感謝を動機に生きることができますように、どうか導いてください。