わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★私のように欠けの多い者でも

イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻ってご覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。

(ルカによる福音書22:45)

十字架を前にした前夜イエスさまは弟子たちを連れ、彼らをご自分から少し離れた床において一人祈られました。

イエスさまが繰り返して彼らに告げられた言葉は「誘惑に陥らないように祈りなさい」というものでした。
しかし、彼らは眠り込んでしまっていました。

ああ、何度読んでも弟子たちはだらしないなあ…、と正直思います。
では彼らが全くイエスさまの悲しみや葛藤など意に介していなかったのかというと、そうではありませんでした。
「彼らは悲しみの果てに眠りこんでいた」あるからです。

弟子たちの不十分さや欠けは、またわたしたちの姿に重なります。

どんなにかキリストの思いを、そしてその痛みに寄り添おうとしても、どこかで欠けている…、それがわたしたちです。
でもイエスさまは、そんな弟子たちやわたしたちのことをご存じで、その受難の苦しみを背負いきり、味わい尽くして下さった。だから、わたしたちはその足りなさをもこの方によって赦され癒してくださるのです。

その足りなさを持つままでこのキリストのもとに近づきましょう。そこにこそ計りしれないキリストの恵みの経験があるのです。

  • 祈り 主なる神さま。わたしのような足りない者をもその憐れみの中で迎えてくださることを感謝します。あなたが歩まれた道を思い、その愛の深さを知ることができますように、わたしを導いてください。