人の怒りは神の義を実現しないからです。
(ヤコブの手紙1:20)
「人の怒り」と「神の義(ただしさ)」が対比されています。
それは、明確に、相容れないものだと記されています。
もし、愛艇への「怒り」が正当に思えても、その怒りは、相手や周囲、そして自分自身をも損なう「悪」にないりうるからです。
そういう経験、気づいたことはありませんか?
聖書の提案は、すべてをご存知である、神さまにおゆだねして、まず自分の心と魂を守ることです。続きにこうああるからです。
だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。(:20)
- 祈り 慈しみ深い天の父なる神さま。時々自分の心が、怒りに飲み込まれそうになることがあります。どうかわたしの心を探り、気づきを与え、あなたのみ言葉でわたしを癒やしてください。怒りではなく、あなたの愛で心を満たしていただくことができますように、祝福してください。