人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
(ルカによる福音書6:22)
今、わたしたちが生きる時代は、価値観や道徳的基準の大きな変化を経験しています。
その多くは、”だれか”の都合や嗜好、意見の強さによるものかもしれません。
そうして周囲の雰囲気も、国も変化していくことを経験するかもしれません。
クリスチャンが経験してきた迫害は、そういう変化の中で、神さまとその愛の基準を大切にし続けてきたからだ…とも言えます。
ただ、聖書のことばを、自己正当化の道具や”律法主義化”させるのではなく、”神さまとの対話の言葉”として聴くことが大切です。
「人々に憎まれる…」というつらい経験をする中でも、わたしたちは聖書の言葉を聞き、祈りを通して神さまと対話し、またそこで慰めと平安をいただきます。イエスさまは、つらい経験を語るだけでなく平安も約束してくださっています。
わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。(ヨハネ14:27)
- 祈り 主よ、今、価値観や道徳観に大きな変化を経験する時代の中にあります。どうかこの時代に、わたしを、あなたの御言葉と愛を聞き取ること、大切にする人としてください。あなたの愛に応えて生きるものとならせてください。