わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。
(ピリピ人への手紙3:10-11)
どんな自分の努力や能力でも得られないものがあります。
かつてのパウロは、律法を守り自分の力で勝ち得る「自分の義」を求め、その先に命の栄誉を得ようと必死でした。
そんな彼が今は、ただで神さまからいただく「信仰の義」を求め、キリストの受難の生涯のすべてに憧れています。その先に、ただ”いただく”永遠のいのちの世界を見ているからです。
彼の言葉はこうでした。
「…キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです」。(:8-9)
大切なものは、”自分の中”ではなく、”キリストの中”にある。そうわかることなんですね。
- 祈り 命の主である神さま。あなたがわたしにくださった福音の祝福を感謝します。わたしの人生の歩みを、キリストの内に見出し歩んでいきたいと願っています。どうかわたしを導いてください。