…祈り始めた。「わが神よ、御前に恥じ入るあまり、わたしは顔を上げることができません。わたしたちの罪悪は積み重なって身の丈を超え、罪科は大きく天にまで達しています。…」
(エズラ記9:6)
やっとエルサレムに到着して、目にし耳にしたその町の人々のありさまは、偶像礼拝に染まる異邦人との婚姻を重ねてその心が神から離れた人々の姿でした。
そこから絞り出す彼の祈りは、まず、裁きのもとにあった自分たちであったが、そんな中でもどれほどの憐れみと励まし、そして守りをいただいてきたかという感謝。
そして、今、同胞が犯している罪のありさまを、自分たちの罪として告白して悲しむ祈りとなっています。
同胞の過ちを、背負って悲しみ祈る祈り、それはイエスさまのとりなしの祈りにも見られるものです。イエスさまはその罪のすべてを背負って十字架で苦しみ死なれ、またとりなしてくださいました。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)
ここでわたしたちへの問いかけは、自分もまた背信の罪を犯していないか。またもう一つは、その中にあってとりなす者であるか?…ということです。
- 祈り 主よ、わたしたちが先に恵みによって救われて、今キリストに信頼して従う者としていただきました。わたしたちの周りも多くの偶像礼拝と背信の誘惑があります。わたしをそれらの惑わしから守ってください。またそういう中にある人のためにとりなし祈る者ともならせてください。主よ、わたしの国と民のあなたへの罪をどうか赦してください。