「…私は自分の民族にふりかかる不幸を見るに忍びず、また同族の滅亡を見るに忍びないのでございます。」
(エステル記8:6)
ユダヤ人を絶滅させるために大臣のハマンが王をそそのかして全国に発布した文書。
このままでは、同胞が皆滅びてしまうという危機感から、王妃であったエステルは王に訴えました。
この王妃の命をかけた行動と言葉で、民は救われました。
「このまま放っておけない…」というの思いがこの言葉と行動にあらわれています。
先日の礼拝でこんなことをお話しました。
この世が失った最も大きなものは、神さまの悲しみを”想う”ことがない、ということでしょう。 わたしたちが神さまに背を向けたまま滅びゆくありさまを、心から悲しむお方がいます。それが聖書が示す神さまなのです。
そんなわたしたちのために、ひとり子イエスはあの十字架で、死なれました。わたしたちを滅びから救うため、命を捨てられたのです。
クリスチャンであるわたしたちもまた、自分の家族、友人、そして自分の周囲にある人の行く末に、無関心でいてはならない。
神さまの思いをいただいて、祈りの声を上げる者で有りたいと願います。
- 祈り 主よ、わたしたとわたしの同胞、日本の人々をどうか憐れんでください。あなたの愛を知らないまま、裁かれることがありませんように。どうかわたしたちに気づきと導きをお与えください。