だからイエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を絶えず神にささげましょう。善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。
(へブル人への手紙13:15-16)
神の約束の実現を待ち望む信仰者の礼拝のありさまが語られています。(:14参照)
それは、イエスさまの御業を喜ぶ賛美となり、また善い行いや施しを通して神に栄光を帰する姿となります。
わたしは、毎週の礼拝の賛美を選曲するとき祈ります。
限られた時間、限られる曲数、そしていただいてる御言葉に照らして、また神さまがこの教会を通して気づきを与えてくれる賛美は…?そして何よりキリストの十字架の福音に目を向けられるように…という風に。
そして同様に、その愛と善い行いを向けることができるか、ということにも祈りの備えが必要です。
この手紙の作者は、そういう礼拝の中で「神の喜び」経験をすることができるように、わたしたちを招いてくださっています。
ですから、今度の礼拝のために、あなたの礼拝の備えも大切だ知っていてください。
ただ行けば賛美がある…ではなく、賛美を期待し、出会いを楽しみにし、善い行いと愛を備えて、そうして「神さまの喜び」となるように…と、心備えて集うことができれば感謝ですね。
- 祈り ハレルヤ! あなたの福音のもとで、わたしたちは共に礼拝をすることができることを感謝します。どうか週ごとの礼拝、そして日々の中で、兄弟姉妹と共に賛美できる特別な喜びをわたしに満たしてください。