願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。
(ヤコブの手紙4:3)
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この4章の始まりには、願っても得られないことから起こる争いについて語られ、その上で、わたしたちの心にある、その願いの背景にある動機を問うています。
この世にあっては、言った者勝ち、声の大きい方、力がある方が勝ちだという、ある意味強者のわがままがまかり通る価値観が支配しています。
だから、人レベルでも国レベルでも、今、「力づく」な駆け引きが見られます。
そういう時代にわたしたちは、すべてをご支配なさる神さまに目を向けることを大切にして祈るのです。
わたしたちの心にある動機を知ってくださり、願いにこたえ、与えてくださるのは、まことの神さまだと信じて待ち望むからです。
- 祈り 恵み深い天の父なる神さま。この時代において、わたしたちはあなたがくださる祝福を求めています。わたしの心を探って、わたしの心を正してください。あなたの思いをいただいて、あなたの御業を待ち望む忍耐力を与えてください。