神の内にいつもいる言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。
(ヨハネの第一の手紙2:6)

はたしてわたしたちは、”何をもって”「神の内にいつもいる」と主張するのでしょうか?
忠実な教会生活や、聖書知識など…上げるかもしれません。
この2章では、「神のおきてを守るなら」「神の言葉を守るなら」…など示しつつ、それらを鮮明化して、「イエスが歩まれたように、自らも歩む」という言葉でくくっているのです。
それが、わたしたちの具体的な信仰生活となります。
たとえば、「仕える」というとき、「イエスさまのように仕える」。また、「愛する」というとき、「イエスさまのように愛する」と、「イエスさまのように」という言葉がわたしたちの信仰生活を、具体的に形づくるでしょう。
とてもハードルが高く感じる人もいるでしょう。でも「イエスさまのように」歩もうとする人を、聖霊が助けてくださる…ことが、信仰生活の体験でもあるのです。
- 祈り 主よ、わたしがいつも「イエスさまのように」と心にとめて歩むことができる者としてください。どうかわたしの心と歩みを守ってください。