「わたしたちのお仕えする神は、その燃える炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、ご承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
(ダニエル書3:18)

捕囚されたバビロンで重用されていた3人の若者たちですが、決してバビロンの神々を拝することはしませんでした。
結果、王の逆鱗に触れて、火の炉に投げ込まれたのです。
彼らは、神さまを信頼しました。そして決して神のなさることを、自分の都合や考えで限定することはしませんでした。彼らはただ、神を心から拝し、信頼したのです。
わたしたちの祈りはどうでしょうか?
「(たとえ)そうでなくても…」。つまり自分の思うとおりにならなくても、神さま信頼から離れない、そう心から言える信仰へと招かれているのです。
- 祈り 恵み深い天の父なる神さま。今日、わたしたちは改めて、自分の神信頼の心が探られています。「たとえそうでなくても」と、すべてをあなたにゆだねることができる信仰へと、わたしを導いてください。自己中心から、神中心へと私を導いてください。