死ぬことなく、生き長らえて、主の御業を語り伝えよう。
(詩篇118:17)
その続き
:18 主はわたしを厳しく懲らしめられたが、死に渡すことはなさらなかった。
水曜日の祈祷会(ともみ師リード)で、エレミヤ書21章のバビロン捕囚のつらい預言の部分を聞きました。
エルサレムにとどまる者は滅び、バビロンに降伏する者はかろうじて命だけは助かる…という預言。そこには、「見よ、わたしはお前たちの前に命の道と死の道を置く 」と。
バビロン捕囚でユダヤ人たちは滅びて終わってしまったのか…と言うと、そうではなく、移り住んだところで神を礼拝し、祝福の器とされていく姿を聖書から知ることができます。
わたしたちは絶望的な苦難を経験することもあります。死んだほうがましだ…と思うような状況もあるかもしれません。
それでも、神を信じる者は、善きお方である神さまを求めて生きることができます。 今日の御言葉はそういう姿を描いているのでしょう。
- 祈り 全知全能のまことの神さま。あなたの憐れみと慈しみの深さ広さは、わたしの想像をはるかに超えます。わたしは自分が見え、感じる狭い範囲でしか物事をはかることができずにいます。あなたを知りあなたを心から信頼して生きる者、主の御業を知ることのできる者としてください。