イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。…」
(ヨハネによる福音書9:3)
「なぜ今そうなのか?」という理由を聞いて安心できる…ということがあります。
今年に入って治療して間もない歯に、たまに痛みがあり歯医者に行きました。レントゲンを撮り、医者のお話を聞いて理由がわかり安心しました。
身近でさまざまな苦しい境遇や貧しさ、病や障害を抱えている人たちがいます。
「どうしてですか?」と問うた弟子たちの質問は、他人事としてでした。
でもイエスさまは、ご自分がこの人の苦しみの悩みをすべて身に負うことの決意のもとで「神のわざがこの人に現れるためである」と言われ、その場でこの人を癒されました。
ここでその人の半生を覆ってきた盲目であったゆえの悩みも苦しみも押し流されたことと同時に、神さまご自身を体験するという喜びを経験したことでしょう。
神さまは、わたしたちの人生を知っていてくださいます。そしてそこに神さまの御業があらわされることを期待できます。
- 祈り 主よ、あなたがわたしを心に留めてくださっていることを心から感謝します。どうか、わたしの思いを癒し、あなたともに生きる者としてください。