兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。
(ガラテヤ人への手紙 5:13)
たとえば、与えられた自由な時間を、何のために使うでしょう?
「だれかのために用いる」ということに、喜びや満足を見出すことができるのも、人の特徴です。
その喜びや満足感は、目に見えて計れるようなものではないかもしれません。
確かに互いに愛をもって、自分を犠牲にすることの中にも、そして仕えあうことの中にも、喜びを見いだすことのできる不思議があるのです。
神につくられた人の不思議、特に神に召された人が知る祝福だと思います。
あなたはどう思いますか?