…羊の群れも牛の群れも、あなたたちが願っていたように、連れて行くがよい。そして、わたしをも祝福してもらいたい。」
(出エジプト記12:32)
イスラエルの民をエジプトから出て行かせることを何度も拒み続けてきたパロ(エジプトの王)は、十の災いを経験して最後、ついに、彼らを去らせることを決意し伝えます。
その際、パロは、この言葉を彼らに伝えるのです。
「そして、わたしをも祝福してもらいたい」という言葉。それがわざわざ記録されています。
ここまで語りながらも、なおこの後、またもこのパロは心を翻して、イスラエルの民を取り戻そうと大軍率いて追いかけてきます。
さて、わざわざ記録されるこの言葉。もしかしたら圧倒的な神の力を経験したゆえの、パロの思わず口に出た本当の思いかもしれません。
でも彼は、自分の権力欲・支配欲から離れることができず、言葉を翻してしまいました。
わたしたちも、その時の感情によって言葉にしたけれども、あとで翻す…ということありませんか?
そのような言葉は、自分の生き方も周囲をも混乱させてしまいます。
民を率いたモーセは、現実的な悩みと悪状況を経験しました。けれどもモーセは神を信頼し従い続けることをやめませんでした。 ここにパロとの違いがあります。
神を信頼し、従いきり、前進する。モーセの言葉はいつでもその信仰の土台にありました。
わたしたちが学ぶべき姿ですね。
- 祈り 主よ、わたしにあなたの言葉を聞かせて管愛。わたしはあなたと共に歩みます。この信仰の歩みを祝福してください。