「からだのともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」
(マタイによる福音書6:22-23)
置かれている環境で、何を見ているか、何を見ようとしているか、何が見えているか…が問われます。
戦地で地下深く避難している多くの人々のありさまがニュースにありました。
そこにはお年寄りから子どもたちもたくさんいる。
何週間も陽の光を目にすることもできない劣悪な環境下で、将来の希望を語る子どもたちの姿が印象的でした。
澄んだ目をしている。その目の輝きが生きている…と。
イエスさまはご自身を示してこう言われました。
「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。(ヨハネ8:2)
わたしたちもまた、いつどんな状況に置かれるかわかりません。しかし、そこで私たちの目がイエスさまを見ているならば、その方の慰めをまた希望を知り、語ることができます。
- 祈り 主イエスさま、今日わたしが置かれるどんな状況の中でも、わたしの目と心を守ってください。そこから世の光であるあなたを見つめて慰めを得、希望を知ることができますように、祝福してください。