誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。
(ヤコブの手紙1:13)
「誘惑」に、だれかの悪意が見えます。
神はそのようなことはされない、いや無縁だと言います。
だから、神が自分を誘惑するかのようにい言ってはならないのです。
「誘惑」は人を罪に陥れる深刻な罠です。その背後に悪魔の意図さえ透けて見えます。
むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆(そそのか)されて、誘惑に陥るのです。そして欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。 (:14-15)
わたしたちの心を御言葉で整え、そして誘惑にノーと言える者でありたいと願います。
だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。(4:7)
- 祈り 主なる神さま。あなたに御言葉をわたしの思いの中に満たし、さまざまな誘惑からわたしを守ってください。