わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★恵みとして与えられています

つまり、あなたがたは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。

(ピリピ人への手紙1:29)

「キリストのために苦しむ」ということが語られていなければ、わたしは信仰生活も牧会生活も破綻していたことでしょう。

理想的には、キリストを信じるからこそ、これほど豊かで成功し、これほど人から喜ばれ、最大の尊敬を受けることができる…と言いたいところです。
けれども、その逆を経験することが多いのも実際です。

そんな時、キリストが受けた敵意、憎しみ、裁き、鞭打ち、十字架の死の苦しみ、そして孤独を思う時、わたしの苦しみはそれに及ぶものではないことに気づかされます。

その苦しみを「恵み」として、受けるにふさわしくない者のキリストに倣う経験として、わたしたちが味わうことで、わたしたちを愛する主イエス・キリストの愛の真実に、感動しひざまずかざるを得ません。

いきつくところは「恵みとして与えられている」という気づきと感動なのです。

  • 祈り 主イエスさま。あなたがこの地上で負われた苦しみと悩みの一端を、わたしたちは経験して、あなたを想うことができることを感謝します。どうかわたしの心からつぶやきを取り去りきよめ、恵みとして感謝することができるよう気づきをお与えください。
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