主は高くいましても低くされている者を見ておられます。遠くにいましても 傲慢な者を知っておられます。
(詩篇138:6)
神さまの「全知」という感覚は、わたしたちの経験や想像をはるかに超えます。
どんなことでも、何かを知るということは、その評価や判断につながるからです。
だから神さまは、”低くされている者、傲慢な者”を、ただ傍観しているのではありません。
クリスチャンのわたしたちにとって、神さまに知られていることは幸いなことです。
すべて知られていてなお、ゆるされていること、愛されていることを告白できるからです。
そして祈ることができます。
詩篇の作者は続きにこう祈っています。
わたしが苦難の中を歩いているときにも 敵の怒りに遭っているときにも わたしに命を得させてください。御手を遣わし、右の御手でお救いください。(:7)
- 祈り 全知全能なる神さま、わたしのすべてをわたし以上にご存知であることを感謝します。わたしがまっすぐにあなたに目を向けて歩むことができますように、どうか導いてください。あなたの愛と赦しを受け取って歩む者としていてください。