彼らはメリバの水のほとりで主を怒らせた。彼らをかばったモーセは不幸を負った。彼らがモーセの心を苦しめたので 彼らがそれを唇にのせたからであった。
(詩篇106:32-33)
柔和な人ともいわれるモーセでしたが、この時、民の反抗にいら立ち、それをその言動にあらわして神さまの聖なる御業をゆがめてしまったという出来事が取り上げられています。(参考:創世記20:2-13)
確かに原因は、怒りに満ちた反抗的な民の側にあります。だから当然そうなる…。わたしたちも共感できるところでしょう。
そんなわたしたちですが、わたしたちは、静まってキリストを見つめ、そしてその完全な柔和さに心開くことができます。そうしてこの方に倣うように聖書はこう勧めます。
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。…あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。(へブル12:2-3)
- 祈り 主よ、世界で身近で、さまざまな悪意や怒りや意見の中にわたしたちはおかれています。どうかその中で流されることなく、静まってイエスさまを仰ぎ見て、歩むことができるよう、わたしの心を守ってください。