「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。…」
(エレミヤ書33:3)
神さまが語ること、聖書が自分に告げることが、自分の「知らない、理解を超えた大いなる事」(新改訳)であるならば、「わからない」というのはあたりまえの反応です。
しかし、わたしたちクリスチャンは、神さまに信頼して耳を傾けます。
そして、信じて御心がなりますようにと祈ります。それが信仰の応答です。
このクリスマスの時期思い起こすのはマリヤに向けられた御告げと彼女の応答です。
まだ処女であった彼女が、聖霊によって救い主を身ごもるとい言われる。自分の身に起こる事。だからこそ理解が追いつかない…。けれども、最終的に彼女は心を定めてこう答えています。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」(ルカ2:38)
わたしたちもまた、御言葉に迫られることがあり、理解が追いつかないとき、どうか心を静めて「神さまに信頼しよう」と応答できれば感謝です。
たとえそうでなくても、ぜひ「わたしにはわかりません。でもどうか導いてください」と祈ることができれば幸いです。
- 祈り 主よ、時々、あなたの御言葉に理解も心をも追いついていかないときがあります。そんなとき、わたしの中にある戸惑いを知ってください。どうかあなたの御言葉の真意に目が開かれ、あなたに信頼して、あなたについていくことができるよう導いてください。