どのようなときにも、友を愛すれば 苦難のときの兄弟が生まれる。
(箴言17:17)

先日、駅の改札のところで、わたしの目の前で、普段着の年配男性二人が、顔をほころばせ、うれしそうにお互いに歩み寄って握手し、「久しぶり!会えてうれしい♪」とあいさつを交わしている姿を見ました。わたしも少しうれしくなりました。
ああ、このふたりどんな友だちなのだろう…と。
だれかとの関わりや助けなしに、人は生きていくことはできません。
そして、友との友情は、そういうお互いが背負う状況を思いやって育てていくものです。
今日、その友情は「どのようなときにも、友を愛すれば」という風に語られています。
そして、聖書は律法の中心を「自分を愛するように隣人を愛する」と表現しています。
わたしたちは、どんな出会いとまた友情を与えられているでしょうか?
大切にできれば、感謝ですね。
- 祈り 主よ、あなたはわたしたちの信仰人生の歩みにも、大切な友を与えてくださっています。わたしも誰かの大切な友となるように導いてくださっています。もし気づいていないところがあったら、わたしに教えてください。