律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。
(ローマ人への手紙2:13)

当時、律法をだれかを裁く基準として振り回す人がいたことは、聖書でたびたび取り上げられます。この章のはじまりにはこうあります。
だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは他人を裁きながら、自分自身を罪に定めている。(:1)
今、わたしたちは「福音」という、キリスト由来の赦しと恵みの世界に入れていいただいています。
言葉を恐れずに言うと、福音をこそ、”振り回して”人を救いに導く人でありたいと願います。パウロはこう宣言します。
わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。(1:1)
- 祈り 主よ、わたしを救うこの福音のゆえに心から感謝します。この福音をもって、どんな人にも、その素晴らしさを証しする機会を与えてください。